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正直、私は友達が多い方ではない。
多々理由はあれど最もな理由は、やはり自分自身にあったのだと悟る。
友情についての格言を読んで共感する点も多い。

『もし君が悩む友を持っているなら、君は彼の悩みに対して安息の場所となれ。
だが、いうならば、堅い寝床、戦陣用の寝床となれ。そうであってこそ君は彼に最も役立つものとなるだろう。』
ニーチェの言葉。(まぁ、タイトルもニーチェだったりします。)
なるほどと思ってみますが、
悲しいかな実際には相手に伝わる、相手が気づくのはずっと後の事で
判ったときにその友は近くにいなかったり、連絡が取れなかったりするのです。
どうせなら早く気づくべきですな。

今まで親友という概念を「その者がいれば全てが事足りるもの。」と解釈していた為、必要ないとしてきたのですが、それが誤りであったと最近気づいた。
気づかせてくれたのもその親友と呼べると思う友人の一言が大きい。
恋愛などにおいては「円も縁も無いからね。」と私も冗談で使っていた他愛もない言葉。
その『縁』というもの。
【縁がある者同士は引き合うものだ】という考え。
昔もよく聞いた言葉だったが、今の自分にとっては今までの全てを納得させてくれるような気持ちにさせてくれた。このタイミングでこの言葉を聞いたからこその納得であったのだろう。
その言葉を聞いて私の中の親友の概念が変わった気がした。
親友とは特にちょっとした友人のように連絡をたったり、共通の趣味などが無くとも疎遠になっていくような事も無い間柄な者なのかなと。
『もっとも親しき友人というのは、つねに兄弟のように退屈である。』
萩原朔太郎って人の言葉ですが、こんな感じなのかもねって思ったりね。

以前、日記に書いて気もするが割と自分主義的な面もあったのであろう自分は
小、中、高と大。その場面、場面で友人を失っていく事もあった。
失ってから気づき考えさせられる事も多くあり、そこで初めて自分にも非があることを知る。
唯一の救いは失った友人も多いが、頼れる友人も多かった事だ。
孤独となり事に気づいた私に手を差し伸べたのも友人、一時は離れもしたが向かいいれてくれたのも友人、形だけ見れば昔からの友達。
元の鞘のようにはなったようだ。
しかし、離れていた分お互いに蟠りがあるのは否めない。
それを解決する術は、時間とその事に気づいた自分なんだろうと思い甘んじる。
だが、ここまで来れたのも友人達がいればこそ。
その友人と会えた事が縁なのだろう。
でさ、関係ないけど好きな言葉を
『世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。』
シェークスピアなんですが、これよ。

人間万事塞翁馬ってやつね。ほんと、その通りだと思うわ。

そんなに悩んで答えが出ないなら笑っとけって話じゃないの。
本当に面倒くさいのはもうええわ。
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2005.11.08 | フリートーク | トラックバック(-) | コメント(0) |










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